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昭和53年 成田空港反対の過激派、管制塔を襲撃し破壊

管制室内を占拠、機器を破壊するゲリラと、屋上に避難し救出を待つ管制官たち
=1978年3月26日午後2時40分、毎日新聞社ヘリから撮影
管制室内を占拠、機器を破壊するゲリラと、屋上に避難し救出を待つ管制官たち =1978年3月26日午後2時40分、毎日新聞社ヘリから撮影

 成田空港の開港を4日後に控えた昭和53年3月26日、空港反対の過激派活動家15人が、機動隊1万4000人という厳戒態勢の裏をかき、地下排水溝を通って空港内に侵入。警官の威嚇発砲を振り切って空港の心臓部・管制塔を占拠し、機器類を鉄パイプなどで破壊した。管制官らは屋上へ逃げ、ヘリコプターで救出された。開港は同年5月20日まで延期された。

 昭和41年、国は地元同意のないまま、農地の広がる「千葉県成田市三里塚」に新空港を建設すると閣議決定。強引に建設を進める国側に対し、地元住民や住民を支援する新左翼団体などは激しく反発し、実力行使も含む「三里塚闘争」となった。強制代執行をめぐる衝突などで、死者や自殺者も出た。当初、3本の滑走路を建設する予定だったが、4000メートルの滑走路1本で開港。2002年に増設した暫定平行滑走路も、本来計画の中央部にある反対派の所有地を避けて北にずらし、長さも2180メートルに縮められている。

 管制塔占拠に関与した元活動家16人に対し、国と成田国際空港会社(当時・新東京国際空港公団)が損害賠償を求めて民事訴訟を起こし、最高裁は95年7月、破壊された管制塔の精密機器など4384万円の損害賠償を命じた。しかし約10年間支払いはされず、2005年11月に元活動家のうち10人が、法定利息を含めた賠償額約1億300万円を一括して支払った。

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