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昭和55年5月15日 阪神 ブレイザー監督を解任

甲子園球場で退団を発表するブレイザー監督。右は当時の小津正次郎球団社長(故人)=1980年5月15日撮影
甲子園球場で退団を発表するブレイザー監督。右は当時の小津正次郎球団社長(故人)=1980年5月15日撮影

 昭和55(1980年)5月15日、プロ野球・阪神タイガースがドン・ブレイザー監督の解任を発表した。シーズンが始まってまもなくの解任劇だった。

 当時の記事によると、ブレイザー監督がシーズン当初から米でのキャンプで採用した元ヤクルトのヒルトン選手を重用する一方、ファンに人気のある新人の岡田彰布選手を使い渋っていたことから、選手起用を巡って球団と監督の意見が対立していた。後任には、中西太ヘッドコーチが昇格した。

 ブレイザー氏は大リーグのカージナルスなどで二塁手として活躍し、67~69年まで南海でプレー。現役引退後の70年、南海・野村克也監督(選手兼任)誕生と同時に参謀としてコーチに就任して「シンキングベースボール」を提唱し、データを重視する「野村ID野球」の礎を築いた。81、82年には南海の監督も務め、05年4月13日、73歳で死去した。

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