池田信『1960年代の東京』路面電車が走る水の都の記憶

山谷堀と待乳山聖天。手前は今戸橋。山谷堀は隅田川から日本堤下までの入堀。石神井川を飛鳥山付近で分流した用水の一つが、荒川区と台東区の境に沿って東に向い、さらに分流して一つの流れは橋場から隅田川へ、もう一つの分流が山谷堀に注いでいた。吉原遊廓へ通うには、日本橋川を下って柳橋から隅田川に出て、それより川を溯って山谷堀端で上陸し、日本堤を駕籠に乗るか歩くかする方法がとられた。日本堤は洪水対策が本来の目的で、山谷堀の南岸に築かれたのは、洪水が浅草から市中に及ぶのを防ぐためだったという。吉原(新吉原)は明暦の大火後に浅草へ移転するまで、日本橋人形町付近にあった。1964年当時、山谷堀には今戸橋から聖天橋・吉野橋・正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋・日本堤橋と九つの橋があった。堀は1975年までにすべて埋め立てられ、下水道として暗渠化した=東京都台東区浅草聖天町(後の浅草7丁目)で 1964年(昭和39年)7月22日、池田信(いけだあきら)さん撮影 毎日新聞社刊「1960年代の東京」184-185ページ掲載

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