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クイズ昭和の記憶

ここはどこ?第2回  ヒントは広い道路と街路樹

 広い道路と路上駐車された外車、高い街路樹に三角屋根の家屋。まさしく古き良きアメリカの高級住宅街といった風景ですが、もちろんここは日本です。撮影されたのは1962年(昭和37年)。さて、ここはどこでしょう?ヒント。道路と街路樹は現在とほとんど変わっていません。

 答えは渋谷です。左手にあるのは、NHKです。写真は渋谷区役所前交差点から代々木公園方向を撮影しています。62年当時にあったのは、米軍兵士・家族用住居「ワシントンハイツ」です。住居のほか、学校やスーパーなどもある小さな「アメリカ」でした。ワシントンハイツは63年に返還され、64年の東京五輪では選手村などが建てられました。今は代々木公園や国立代々木競技場など、市民の憩いの場となっています。【乗峯滋人】

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コメント

ほんとに変わってませんね。なんだかホッとします。

投稿:昭和39年生まれ
2008年6月26日 (木) 11:18

当時好きだったクラスの女の子と一緒に歩いたこの道が、何十年と経った今でも姿を変えずにいてくれるのがすごくうれしく思えます。
その女の子も去年この世を去ってしまいました。本当に、今までありがとう。良い妻だったよ。

投稿:昭和50年生まれ
2008年6月26日 (木) 14:32

戸山公園など他にも方々に別天地(租界?)があったのでしょう。

投稿:kisslegg
2008年6月26日 (木) 21:52

当時初台に住んでいた私は、渋谷から東急バスに乗り、宇田川町を過ぎ、このワシントンハイツを右に見ながら帰りました。フェンスの向こうのアメリカに憧れました。

投稿:昭和30年生まれ
2008年7月31日 (木) 15:23

懐かしいですね。昭和27年生まれです。母親の実家が円山町で、今の東急本店があるところに通っていた大向小学校がありました。兄が少年野球をやっていて、試合を見に「ワシントンハイツ」の中に入ったことがあります。ドラマに出てくるアメリカンな感じを覚えています。グレープのアイスキャンディーの大きさと・どぎつい色にアメリカを感じていました。

投稿:JO2XBD
2008年8月22日 (金) 16:45

叔父が米陸軍の軍人(母の兄)だったので、よく泊まりに行っていました。中には映画館、スーパー、レストラン、消防署、ガソリンスタンドなどがありました。一般家庭には、ガスストーブ1台あるかどうかの時代に、セントラルヒーティングで、大きな冷蔵庫、水洗トイレ、蛇口をひねればお湯が出るという環境で、夢のような家でした。ワシントンハイツのゲート近くの表参道も、人影もまばらでした。
本当に懐かしい光景です。

投稿:団塊世代1期生
2008年8月24日 (日) 15:47

昭和40年代半ばにこの歩道の脇にゴーカート場があって物珍しかったせいか何度か同級生たちと小銭を握りしめ自転車に乗ってやってきました。あれもワシントンハイツの名残だったのでしょうか。
表参道には一見して外国人向けと分かる骨董品店やアメリカ雑貨がたくさん置いてあるおもちゃ屋さんやオーダーメイドで婦人服や紳士服を作るお店などに加え既にあった同潤会アパートの周囲におしゃれなマンションが次々と建設されました。
米軍の駐留するエリアは当時あちこちにありましたがこの周辺はワシントンハイツには将官とその家族が多く住んでいたので若いGIが集まる他の基地の街のようなバタ臭い感じにはならずクリーンでモダンなイメージで発展していったのでしょうね。

投稿:東京タワーの同級生(1958年生まれ)
2008年12月20日 (土) 18:15

 昭和25年8月から同34年9月まで、ワシントンハイツ内にある将校クラブに電気係として勤務しました。
 同ハイツを題材にした小説を書くに当たって各種検索をして、このサイトにあたりました。写真懐かしい想いで見ました。
 写真は木々の茂った様子から昭和30年代も後半に写したと思います。ハイツは昭和23年春完成。多くは木造2階建て、米軍規格の家で1棟が2戸か4戸だった。居住者の殆どが中尉か大尉、大佐准将クラス用の戸建ても数棟あった。戸数は約1千戸、ここだけで千名の将校が居たのは驚きである。
 

投稿:北村彦四郎
2009年6月23日 (火) 18:42

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