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クイズ昭和の記憶

ここはどこ?第1回  ヒントは東京タワー

 中央を路面電車が走る広い道路が印象的で、道路の土ぼこりをほうきで掃除する人々の姿も見えます。オート三輪が数台走っているほか、車もまばら。当時としてはかなりの都会だったのでしょうが、田舎町の大通りという感じです。しかし、この風景の場所は、今はひどい混雑、騒音の中にあってゆっくり歩くことさえできません。さて、ここはどこでしょう?ヒントは、広い空に屹(きつ)立する東京タワーです。

 答えは、六本木です。この道は外苑東通りで、芝公園方向を見ています。カメラマンの背後には、アマンドなどで有名な六本木交差点があり、日本でも有数の混雑を見せていています。道の広さは当時とそれほど変わってないのかもしれませんが、雑居ビルがいくつも建ち並び、空はほとんど見えません。左右にあった小さな商店たちはいったいどうしたのでしょうか。変わらぬ姿のはずの東京タワーも、まるで小さくなってしまったような錯覚に陥ります。【乗峯滋人】

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コメント

う~ん、こんなにのどかな場所だったんですね。

投稿:昭和39年生まれ
2008年6月23日 (月) 12:54

2枚の写真は、同じ方が撮影されたのでしょうか?
いずれにしろ、1枚目の写真は貴重な資料ですね。
そして、2枚目の写真も、貴重な資料となる日がやってくるに違いありません。

投稿:昭和28年生まれ
2008年6月23日 (月) 18:53

セリナの看板でばれてしまいますねぇ。

投稿:Priscilla
2008年6月23日 (月) 19:25

現在の六本木よりも当時の古い写真が印象的です。
子供の頃東京タワーが完成してすぐ母と見学に行き展望台で夕ご飯(ディナーなんていうよりこの表現が良く当てはまる)を食べたのを思い出します。
今の展望台は周りのビルよりも低く寂しい感じです。当時は世界中が見えるような感じで子供心にわくわくしたものでした。
展望台には1年に2回は登りに行きますが訪問するたびにあの47年前の光景がはっきり思い出されます。

投稿:新井和雄
2008年6月23日 (月) 19:33

50年ほど前に母にタワーに連れて行ってもらい展望台で夕ご飯(ディナーなんて表現よりこの方が合っていた)を食べながら見る東京の街は美しくネオンに輝く町だったのを思い出します。
現在は周辺のビルの方が展望台より高くなってしまったけれどあの当時はまるで世界中が見えるようでした。
昭和22年生まれ。 June 23, 2008. from USA.

投稿:新井和雄
2008年6月23日 (月) 19:42

1970年に東京タワーにはじめてのぼりました。
そのころはもう2枚目の写真のような気がします。
わたしは田舎の子でしたからね。

投稿:服部 けいこ
2008年6月26日 (木) 14:46

中学生のころ 毎日テレビ塔がのびてゆく姿をみていました。 どこからみていたかというと
山手線の電車のなかからでしたが 特に上野
秋葉原のあいだからよくみえました。 当時は低い建物だらけでした。 それで答えが六本木というのも直ぐにわかりました。

投稿:名無しのごんべえ
2008年6月28日 (土) 06:34

私も「セリナ」見て「正解」でした。
一流レストランも電柱の看板出していたなんて・・・
どんな「一流」にも「第一歩」があるのですね。
東京タワーが日本の先進国への「第一歩」を感じさせてくれる写真です。

投稿:中根 大
2008年6月29日 (日) 18:25

僕もセリナで判りました。
祖母の実家が赤坂なのですが、昭和30年代半ばだと溜池ですら田舎で、ホームレスが巣くってたそうです。
したがって、日本橋などから見てその先に当たる六本木は、おそらく田舎ですよ。
昭和39年の東京オリンピック首都高ができて、その時に溜池も埋め立てられたそうで、一気に都会化したと思います。

投稿:GEO
2008年7月 1日 (火) 09:30

新橋3丁目の写真、和菓子屋の岡野が写っているように見えますが、
その隣が田中医院のようだし、だとすると、西久保巴町と、虎ノ門の間じゃないかしら? 

投稿:西久保巴町28年生まれ
2008年7月 1日 (火) 23:47

33年生まれです。小学校に入るまで恵比寿に住んでいたのですが、夕方遊びの帰り道、まさにあんな感じで東京タワーを見ながら、家路に着いたのを思い出します。高い建物もなく、夕焼けの空がとても広くきれいでした。タワーも今と違って、もっとはっきりした電飾が施されていたような気がします。私はあの当時の感じの東京タワーが好きです。

投稿:えのさん
2008年7月 3日 (木) 23:20

どの写真を観ましても、東京が大きく変貌しましたのは、東京オリンピック前後であることがよく解かります。未だ、東京タワーへ行った経験がありません。

投稿:戦前生まれ
2008年7月 4日 (金) 14:21

東京タワー、1958(昭和33)年12月23日完工。直前の11.1には特急こだまが運転開始。東京大阪を6時間50分で結んだ。一万円札が初めて発行された年。「主婦の店ダイエー(ダイエー1号店)」が神戸で開店した年。テレビでは、フランキー堺の「私は貝になりたい」が評判になった。「もはや戦後ではない」と経企庁が発表したのは2年前だったが、それが実感として感じられるようになた。私は中学2年。秋葉原の電気街をうろついても、闇市のような怖さはなくなっていた。東京タワーには、翌春の遠足で行った。上智に行った女の子は同級生だった。

投稿:浦和のプリンス
2008年7月22日 (火) 09:57

1948年生れです.地方の高校を卒業し早稲田大学に入学した時,母を連れて東京タワーに上りました.展望台から所々に建ち始めた高層ビルを驚異の眼差しで見ていた母,一緒に展望台から階段で降りてきた気丈な母,亡くなってもう十数年経ちました.
鉄の階段を下りる足音が,東京タワーを見ると今でも思い出されます

投稿:水野葉子
2008年7月26日 (土) 19:31

まさにAlwaysですね。(昭和33年生まれ)
東京タワーを見る位置で正解でした。
1982年に東京タワー至近の飯倉2丁目付近にあった会社に行っていました。
初めてタワーを見たのは、小学校2年のころ(1966)かなぁ。
父が東京出身で、よく東京へ遊びに行きました。

投稿:宮毘羅@黒猫院
2008年8月 3日 (日) 11:54

昭和27年東京生まれです。
東京タワーに初めて登ったとき、その展望に感動しました。
この頃家に来たばかりのTVも楽しみでした。
NHKの「ホームラン教室」「やんぼ、にんぼ、とんぼ」とかアメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」「名犬ラッシー」「ディズニー」などの子供向けTV番組をわくわくしながら見ていました。
東京タワーはこの頃の方がスマートで格好が良いですね。

投稿:ひまわり
2008年8月 4日 (月) 18:25

sad偶然にも当たってしまって嬉しいよlovely長野からなので難しいよ、でも昭和27年生まれなので知らなきゃ行けないのかもねshine

投稿:キョロちゃん
2008年8月13日 (水) 20:32

懐かしい!どのコメントを読ませて貰っても幼なじみに会ったようです。私は1936年生まれで、当時60歳ぐらいの母を連れ、東京駅から歩いて東京タワーまで行き、階段で展望台まで上ったのが思い出されました。その母も亡くなって今年が23年になります。
懐かしい代々木の写真からこのURLにたどり着きました。

投稿:我妻貞夫
2008年8月20日 (水) 14:10

当時この写真の右手奥の永坂町に住んでいたのですぐに分りました、本当に懐かしいですね。当時は小学生でどこへ行くにもこの先にある三河台の停留所(今のロアビルと和菓子の青野の前の路上にあった!)都電に乗って出掛けていました。確か一律40円(子供料金?)だったと思います。写真左手にある洋品店では学校指定の上履きや帽子、鞄や体操着を売っていました。麻布六本木といっても当時は東京の郊外と余り変わらず結構狸も出没しました。大きなお屋敷に混じって長屋や民家も大変多く、近辺の小学校も概ね1クラス40人ぐらいで4クラスはあり1,000人近い子供が通っていました。

投稿:麻布の元野球少年
2008年8月22日 (金) 09:15

1964年頃、仲間のHONDA S600で六本木の
ハンバーガーインに乗り込み、COKEを片手にHBをむさぼったものでした。少し余裕が出来ると
タワーの向かいにあるロシア料理屋でボルシチとビールを楽しみました。 飯倉交差点を左折、ニコラスのサーロインステーキの味は今でも忘れられない
青春の一こまです。
狸穴の河野一郎ビルのボーリング場はどうなったでしょうか?

投稿:hiro
2008年8月27日 (水) 23:59

本当に懐かしい写真ばかりでたまりませんネ・・・
東京タワーは完成したばかりに、新し物好きの「渋谷のオジイチャン」(母方の)に連れられて上りました。帰りは歩いて階段を下りて来ましたが、とても怖かったのを覚えています。それからでしょうか?私の高いところ好き都庁・サンシャイン・ヒルズ等高いところはある程度制覇しています。

投稿:JO2XBD
2008年12月 4日 (木) 16:01

今も昔も東京タワーを街中から見るには、このアングルが一番お気に入りです。
車での移動が多く高速道路や周辺道路での運転中にチョットした間の東京タワーの景観に癒されます。

防衛庁後地に建った東京ミッドタウンをスルーして首都高3号線の下をくぐり、飯倉方面に向かって走行すると六本木5丁目の信号辺りでこの景観です。

お勧めの景観時間は季節にもよりますが日没前後の17:30頃。
東京タワーのイルミネーションと日没の空の色が
リンクして何とも表現しがたい美しさです。

投稿:うなぎ
2009年4月16日 (木) 21:17

昭和35年生まれ、当時今井町に住んでいました。
昔の六本木は普通の住宅街であり、商店街だったと言っても信じない方が多いですね。
この写真はまさに私の子供の頃の原風景です。
外苑東通りと六本木通りの交差点に小鳥屋さんがあったり、今の六本木からは想像も付かないですね。

投稿:COZY
2009年5月23日 (土) 23:35

思い出します。昔私はよく六本木の交差点に歩いていきました。右角は文房具屋さんがありました。左側は三河台でした。

投稿:1946年生まれ
2009年5月31日 (日) 17:37

私は麻布小学校を卒業しました。あの当時、友達は皆六本木交差点付近の一軒家に住んでいました。村田君、笠井さんたちと遊んだことが昨日の如く思い出します。四谷行きの33番(都電)が写っていれば、もっとすばらしい写真になったと思います

投稿:1946年生まれ
2009年6月15日 (月) 17:52

虎ノ門逓信病院に勤務していた友人と会社が引けると
車で六本木周辺をドライブ、”ハンバーガーイン”で
腹をこしらえ、飯倉からアメリカ大使館を通り、オオクラで小休止。 夜食は東京タワー脇のロシア料理店でボルシチをむさぼった あの頃、旧友は今LA近郊で開業医、先日40年ぶりで再会、銀座5丁目”ルパン”の小路裏で”鳥かま”を満喫しました。
”瀬里奈”クレージーホース”後藤花や”アマンド”思い出が蘇ります。

投稿:hiro
2012年10月 2日 (火) 18:54

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