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クイズ昭和の記憶

ここはどこ?第4回 よーく目を凝らしてください

 水たまりが目立つほこりっぽい道路を大型トラックが走り抜けています。この道路、撮影された昭和37年(1962年)当時も今と変わらず都心と郊外を結ぶ重要な幹線道路です。橋はもう掛け替えられていますが、印象的な石造りの親柱は今も健在です。さあ、ここはどこでしょう?ちなみに、橋の下を流れているのは「神田川」です。

 答えは「新宿」です。橋は青梅街道の「淀橋」でちょうど新宿区と中野区の境界にあります。目を凝らすと、親柱に「よどはし」と書いてあります。現在の住所は新宿区西新宿ですが、元々この周辺は「淀橋」という地名で、昭和22年(1947年)までは淀橋区でした。家電量販店「ヨドバシカメラ」や、跡地に都庁が建った「淀橋浄水場」などの名前の由来になっています。橋は05年2月に掛け替えられていますが、「大正十三年」の文字が残る立派な親柱は再利用され、行き交う人や車を見守り続けています。【乗峯滋人】

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コメント

この辺りは現在は中野坂上への上り坂を前にした新宿のダウンタウンといった感じで、住宅、マンションが多い一角になっています。

再開発がまだ続行中で、あと数年でタワーマンションが林立する町並みに変わることでしょう。(この近辺に新宿村スタジオなどがあります。)

あと、ヨドバシカメラが大阪の淀川に由来のものだと思われている人も多いようですが、この淀橋が由来といだ。というとかなりトリビアな様で、感慨深げに「へー」っていうコメントが飛び出すことが多いです。
(西新宿在住さとーより)

投稿:さとーけんじ
2008年7月11日 (金) 11:03

この「淀橋」から神田川沿いを北上する遊歩道は、素晴らしい桜の名所。あまり有名ではありませんが、「ひと目千両」の隅田川とはまた違う桜の景観に圧倒されます。ヨドバシカメラの本社も、この遊歩道を1キロほど行った近くにあります。「淀橋」とは江戸幕府第3代将軍徳川家光(一説には第8代将軍吉宗の説も)が、命名したという歴史ロマンを感じさせる逸話もあります。以前が、「淀橋」を冠する小学校が7つ中学校が2つありましたが、統廃合が進み今は小学校3校中学1校で、名称もかわり「淀橋」とつくのは小学校1校のみになりました。「淀橋」も段々、歴史上の地名になりつつあります。

投稿:大納言
2008年7月11日 (金) 15:21

神田川と聞いただけで6畳一間で暮らした昭和40年前後の学生生活時代が懐かしく思い出されます。当時は東中野に住んでいたので淀橋界隈のことは良く知っておりました。市場でアルバイトした記憶もあります。市場はまだあるのでしょうか?青春時代の甘酸っぱい想い出が一杯詰まった場所です。

投稿:加賀 善美
2008年7月12日 (土) 08:51

1963年に、浦和から代々木の予備校に通うことになりましたが、ひと月もしないうちに、さぼって新宿で遊ぶ毎日になりました。ある日、神田方向に行くつもりで都電の上り下りを間違え、淀橋に来てしまいましたが、知らんぷりして乗り続け、はるか先で戻る決意をした経験があります。雨が降っていました。それだけです。翌年も大学に落ち、翌々年、二浪してやっと大学生になり、三鷹の少女と恋に落ちて何度も新宿を通過しましたが、その頃には浄水場の再開発が始まっていたと記憶します。三鷹の少女には振られました。浦和ではプリンスでしたのに。

投稿:浦和のプリンス
2008年7月12日 (土) 22:36

昭和40年代の初めに柏木町(現在の西新宿7丁目辺り)で生まれました。
生後数ヶ月で柏木町を離れましたが、今でも西新宿は心のふるさとです。
鬱を患った時も、休みの度に西新宿を訪れては高層ビルに癒され、立ち直る事が出来ました。
私の名前「柏木」は結婚後の本名です。
私が「柏木」へ嫁ぐと決まった時に一番喜んだのは、柏木町が大好きだった両親でした。
「柏木町で生まれたお前が柏木の名字へ嫁ぐのも何かの縁」だと。
そういう両親は、年老いて夫婦二人暮らしのためか毎日喧嘩が絶えないのですが、柏木に住んでいた当時の話が始まると何故か途端に仲良くなる、おかしな夫婦です。

投稿:柏木
2008年7月23日 (水) 01:36

淀橋で生まれ育ちました。親父も自分も淀橋第三小学校の卒業生です。小西六のフィルム工場があり、工場から時折、赤・青・黄色の排水があり、川の色を変えて神田川に流れ込んだりしていました。浄水場も潜り込むと良い遊び場で、秋には周囲にススキが繁茂していました。ガスタンクも新宿の良い目印になっていました。夕方には蝙蝠が飛び交ったり、空には天の川も見ることができました。今では信じられませんが、新宿・淀橋も田舎都会的で住人の人情も豊かで、カラクリモンモンの人も結構風呂屋に着たりして、誰のが格好良いかなどと子供たちが風呂屋で品評するのも楽しみでした。時代が大きく変わり、新宿の新宿らしさが無くなって、早四十年近くが経ったのですね。名前だけでも残せばよいものを!

投稿:永谷小太郎
2008年7月24日 (木) 11:47

ここにある浄水場の写真はひとの話によるとこの角度(航空写真でない)のは非常に少ないとのこと

投稿:吉井 健二
2008年8月12日 (火) 07:39

成子坂下から少し中野坂上方面に行った、青梅街道の橋ですね。
再開発で立ち退くまで、柏木に住んでいました。ここから少し新宿よりへ行った所に、ちよっと大きな文房具店がありその先にK藤パン屋さんがあったと記憶しています。
子供の私は毎週日曜日になると、進駐軍で働いていた経験のある父親の趣味で、トースト用のパンを買いに行かされました。
今思うとかなりの道程でしたが、あの当時焼きたての食パンなど、売っている所がそんなに無かったのでしょう。
その頃の父親は、アメリカ英語のRの発音がカッコ良く、学校の英語がとてもカタカナぽく思えていました。

投稿:utsgtshr
2008年9月 7日 (日) 09:36

 昭和31年、この写真の淀橋から中野坂上方向に100メートルほど上った右側の、青梅街道沿いの家で生まれました。そこには、平成4年まで住んでいました。僕が小学校に入学する前年の写真ですね。
 中野区の住民と言うこともあり、淀橋方向にはあまり遊びに来ませんでしたが、それでもかなり懐かしい写真です。この写真には写っていないようですが、たしか昭和35年か36年に地下鉄丸の内線が開通するまで、青梅街道を都電が走っていました。新宿西口から荻窪まで、行っていた記憶があります。
 それから古老から聞いた言い伝えですが、淀橋を渡って嫁入りすると、親の死に目に会えないという言い伝えが有ったそうです。
 

投稿:KAZU
2009年2月22日 (日) 01:17

 淀橋、三光町、旭町、角筈、花園町、番衆町、十二社、百人町、柏木、戸塚、諏訪町…風情のある町名が、みんななくなってしまいましたね。高校時代、後輩の女性に書いた手紙を逡巡しながらポストに入れた諏訪郵便局も、学生運動で放り込まれた淀橋警察も、もう名前はなくなっていると思うと寂しい。6代目の圓生師匠の別名「柏木」なんぞは、「北新宿○丁目」という無粋な呼び名になってしまうのでしょうか。
 同じ新宿区でも、牛込側は、納戸町や箪笥町、二十騎町、払方町と江戸の匂いを伝える名が残されているのに…。名前が文化なのだと思えない田舎役人の罪は重いように思います。

投稿:久堅町の住民
2009年3月11日 (水) 23:05

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