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古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。
すぐに目に入るのが石垣と立派な松の枝。その下には水をたたえたお堀があり、ほとりにはビルが建ち並んでいます。撮影は昭和37(1962)年1月。さて、ここはどこでしょう。
答えはBの丸の内です。皇居の馬場先門から和田倉門方向を見ています。現代の写真は馬場先門から少し南の晴海通りから丸の内のオフィス街の夜景を撮影したものです。ビルの明かりが水面に映り、幻想的な光景を作り出しています。 [この場所の当時の地図をみる]
答えはBの丸の内です。皇居の馬場先門から和田倉門方向を見ています。現代の写真は馬場先門から少し南の晴海通りから丸の内のオフィス街の夜景を撮影したものです。ビルの明かりが水面に映り、幻想的な光景を作り出しています。
[この場所の当時の地図をみる]
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疎開先の塩原から14歳離れた姉に連れられて夜のお堀を歩いたのが5歳の時でした。着の身着のまま食べ物もなく上野駅に夜の8時ごろ着いて麹町の親戚の家まで行く時に徒歩でこのお堀端を歩きました。真っ暗で広いお堀を見た山育ちの私は「海だネ」と言ったそうです。街灯も少なく暗く果てしなく続くお堀端の道は今でもはっきりと脳裏に焼きついていて別世界の出来事のようです。12時を過ぎたころにやっと探し当てた親戚の2階の部屋に案内されて生まれて初めて「羽根布団」に一夜だけ寝かせて貰いました。
飯田橋じゃないのはよく分かります。あまり感じは変わってませんね。
懐かしいですね昭和は遠くなりにけり。。。終戦後の25年間と平成の25年間ではどちらが時間差を感じるでしょうか
修学旅行でこの辺りに行きました。皇居にはたくさんの緑が残っており、「東京にもまだ自然が残っているんだ」と思いながら見学しました。いつまでも皇居の緑は残っていてほしいと思います。惜しむらくは、お堀の水が濁っていること。あそこの水が綺麗だと、さらに景観が良くなると思うのですが…。
相当古い写真ですね。どこだかあまり予想ができませんが、多分飯田橋ではないような気がします。何か見続けていると、文章を読むのに戸惑ってしまいそうな画像のような気がします。こんな事を思うのは私だけだとおもいますが・・・
この建物は終戦時にGHQ司令部に使われてましたね。よく映画や昔の新聞に出てきますね。 昭和天皇とマッカーサーが写真を撮ったのもこのびるでしたね。昭和二桁の自分でもよく知ってますよ。
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コメント
疎開先の塩原から14歳離れた姉に連れられて夜のお堀を歩いたのが5歳の時でした。着の身着のまま食べ物もなく上野駅に夜の8時ごろ着いて麹町の親戚の家まで行く時に徒歩でこのお堀端を歩きました。真っ暗で広いお堀を見た山育ちの私は「海だネ」と言ったそうです。街灯も少なく暗く果てしなく続くお堀端の道は今でもはっきりと脳裏に焼きついていて別世界の出来事のようです。12時を過ぎたころにやっと探し当てた親戚の2階の部屋に案内されて生まれて初めて「羽根布団」に一夜だけ寝かせて貰いました。
飯田橋じゃないのはよく分かります。あまり感じは変わってませんね。
懐かしいですね昭和は遠くなりにけり。。。終戦後の25年間と平成の25年間ではどちらが時間差を感じるでしょうか
修学旅行でこの辺りに行きました。皇居にはたくさんの緑が残っており、「東京にもまだ自然が残っているんだ」と思いながら見学しました。いつまでも皇居の緑は残っていてほしいと思います。惜しむらくは、お堀の水が濁っていること。あそこの水が綺麗だと、さらに景観が良くなると思うのですが…。
相当古い写真ですね。どこだかあまり予想ができませんが、多分飯田橋ではないような気がします。何か見続けていると、文章を読むのに戸惑ってしまいそうな画像のような気がします。こんな事を思うのは私だけだとおもいますが・・・
この建物は終戦時にGHQ司令部に使われてましたね。よく映画や昔の新聞に出てきますね。
昭和天皇とマッカーサーが写真を撮ったのもこのびるでしたね。昭和二桁の自分でもよく知ってますよ。