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古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。
道路に面した映画館。時代劇が2本上映されているようで、いかにも昭和の映画館、といった感じです。道路脇には丸い郵便ポストがあったりして時代を感じさせます。撮影は昭和40(1965)年4月。さて、ここはどこでしょう。
答えはBの神楽坂です。映画館は、早稲田通り沿いにあった「神楽坂 武蔵野館」で、現在はスーパー「よしや」になっています。上映されている映画は「座頭市二段斬り」と「鼠小僧次郎吉」です。[この場所の当時の地図をみる]
答えはBの神楽坂です。映画館は、早稲田通り沿いにあった「神楽坂 武蔵野館」で、現在はスーパー「よしや」になっています。上映されている映画は「座頭市二段斬り」と「鼠小僧次郎吉」です。
[この場所の当時の地図をみる]
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昭和30年代までは小さな映画館がいっぱいありましたね。 私が育ったのは麻布霞町でしたが、やはり映画館が一軒あって、それもクラスメートの家がやっていて、遊びに行くと、庭伝いに小屋へ入ることができたものですから、よくただで観させてもらっていました。 ほんと、いい時代だったと思います。 貧しかったけど、みなどこか余裕があったような、そんな気がします。
前回の飯田橋に続いてまたかつての会社のすぐ近くの写真で驚きました。この通りから少し入ったところに社屋があり、毎日、昼食を食べにこのあたりまで来ていました。この撮影された数年後に入社したのですが、その後このあたりの様子はかなり変わってしまっています。ムードバーと看板のある店は、今は本屋さんとなっており、ここにはよく行きました。神楽坂はすっかり観光地のようになってしまい、今はおばさんのグループであふれています。神楽坂も地下鉄の東西線と大江戸線の二つの駅が出来て行きやすくなったのが大きな理由でしょうか。
大阪から拝見しています。昭和33年生まれの私には、映画館は生活の中に根付いていました。小さな町には必ず映画館があり、遅れて上映される作品にB級映画と、まだまだTVが普及しだした頃で、しっかり映画館も娯楽の王様時代でした。 『大怪獣ゴジラ』『若大将シリーズ』と必ず追いかけて見にいった記憶が鮮明に蘇ります。 映画館もどこか温かく、当時子供150円で、50円足らなくても入場させて頂きました。 合間に食べた、最中アイスが美味しかったです。 『田辺キネマ』『文映シネマ』どこか哀愁のある名前の映画館が多かったと思います。 館内で掛けてある映画スターの写真に、ドキドキしました。本当に銀幕スターが全盛の黄金時代だったと思います。 もう一度、あの時の気持ちで映画を見たいものです。
同じ時代に佳作座という主に欧米の名画を上映する映画館が飯田橋にあったのですが、今はもうなくなったのかなあ? 高校をさぼり通ったものでした。二本立てで比較的入場料が安く、学生や若い人に人気があったようです。
私にとって懐かしい映画館は、JR線御茶ノ水駅の脇の坂を下ったところにあった映画館です(名前は覚えていません)。 母につれられて弟と「赤胴鈴之助」を観たことを覚えています。 写真がありましたら、是非掲載して下さい。
私も昭和38年まで麻布霞町の亡き父のところにもいました。都電7番線のすぐ駅の隣にある映画館で父とともに有馬稲子の時代劇を見たのを覚えています。子供なりにきれいな人だなという印象が今でも忘れません。懐かしい思いです。
隣の看板の「じんせん」ですぐ思い出しました。懐かしいですね。
hiro さんへ 佳作座は、今も健在です。名画座は我々にとっては、青春そのものでした。現在名画座の雰囲気を伝えているのは、浅草六区の映画館かも。
昔ながらの映画館で若松孝二監督『キャタビラー』寺島しのぶさん主演。を鑑賞して来ました。
大阪、十三にあります第七劇場で、初めて足を運びましたが、これが懐かしい雰囲気がある劇場で、上映を前に興奮しました。 もぎりのお姉さんが居て良かったです。
座席はゆったりとしたタイプで、鑑賞しやすかったです。名画座と言った雰囲気がピッタリ!
作品の『キャタピラー』、若松孝二監督は昔から崇拝していますので、作品の内容にも安心して鑑賞出来ました。 若い皆さんへ、是非見て頂きたい作品です! 戦争はやはりあかん!あかんのです!
現在、毎日新聞朝刊(9月20日現在)にて”時代を駆ける”若松監督が登場されておられます。 是非一読を! 若松監督へ・・素晴らしい作品!有難うございます。第七劇場で上映され良かったです。
志鷹 豪次氏のコメント(2010年5月19日付)に登場する映画館「田辺キネマ」は、私が幼少の折、住んでいたのが大阪の東住吉区田辺西之町で近く、うちの母が幼稚園の帰りに私と仲良しの友達の二人を連れて「ゴジラ」第一作を観に連れて行ってくれました。観た後、怖くて友達と後ろを振り返りながら帰ったのを覚えています。その友達は大森一樹君といい、後に何作目かの「ゴジラ」のメガホンをとった映画監督となりました。「田辺キネマ」はもう無いでしょうが、当時の小さな映画ファンにより、今も映画界に引き継がれているようです。
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コメント
昭和30年代までは小さな映画館がいっぱいありましたね。
私が育ったのは麻布霞町でしたが、やはり映画館が一軒あって、それもクラスメートの家がやっていて、遊びに行くと、庭伝いに小屋へ入ることができたものですから、よくただで観させてもらっていました。
ほんと、いい時代だったと思います。
貧しかったけど、みなどこか余裕があったような、そんな気がします。
前回の飯田橋に続いてまたかつての会社のすぐ近くの写真で驚きました。この通りから少し入ったところに社屋があり、毎日、昼食を食べにこのあたりまで来ていました。この撮影された数年後に入社したのですが、その後このあたりの様子はかなり変わってしまっています。ムードバーと看板のある店は、今は本屋さんとなっており、ここにはよく行きました。神楽坂はすっかり観光地のようになってしまい、今はおばさんのグループであふれています。神楽坂も地下鉄の東西線と大江戸線の二つの駅が出来て行きやすくなったのが大きな理由でしょうか。
大阪から拝見しています。昭和33年生まれの私には、映画館は生活の中に根付いていました。小さな町には必ず映画館があり、遅れて上映される作品にB級映画と、まだまだTVが普及しだした頃で、しっかり映画館も娯楽の王様時代でした。
『大怪獣ゴジラ』『若大将シリーズ』と必ず追いかけて見にいった記憶が鮮明に蘇ります。
映画館もどこか温かく、当時子供150円で、50円足らなくても入場させて頂きました。
合間に食べた、最中アイスが美味しかったです。
『田辺キネマ』『文映シネマ』どこか哀愁のある名前の映画館が多かったと思います。
館内で掛けてある映画スターの写真に、ドキドキしました。本当に銀幕スターが全盛の黄金時代だったと思います。
もう一度、あの時の気持ちで映画を見たいものです。
同じ時代に佳作座という主に欧米の名画を上映する映画館が飯田橋にあったのですが、今はもうなくなったのかなあ? 高校をさぼり通ったものでした。二本立てで比較的入場料が安く、学生や若い人に人気があったようです。
私にとって懐かしい映画館は、JR線御茶ノ水駅の脇の坂を下ったところにあった映画館です(名前は覚えていません)。
母につれられて弟と「赤胴鈴之助」を観たことを覚えています。
写真がありましたら、是非掲載して下さい。
私も昭和38年まで麻布霞町の亡き父のところにもいました。都電7番線のすぐ駅の隣にある映画館で父とともに有馬稲子の時代劇を見たのを覚えています。子供なりにきれいな人だなという印象が今でも忘れません。懐かしい思いです。
隣の看板の「じんせん」ですぐ思い出しました。懐かしいですね。
hiro さんへ
佳作座は、今も健在です。名画座は我々にとっては、青春そのものでした。現在名画座の雰囲気を伝えているのは、浅草六区の映画館かも。
昔ながらの映画館で若松孝二監督『キャタビラー』寺島しのぶさん主演。を鑑賞して来ました。
大阪、十三にあります第七劇場で、初めて足を運びましたが、これが懐かしい雰囲気がある劇場で、上映を前に興奮しました。
もぎりのお姉さんが居て良かったです。
座席はゆったりとしたタイプで、鑑賞しやすかったです。名画座と言った雰囲気がピッタリ!
作品の『キャタピラー』、若松孝二監督は昔から崇拝していますので、作品の内容にも安心して鑑賞出来ました。
若い皆さんへ、是非見て頂きたい作品です!
戦争はやはりあかん!あかんのです!
現在、毎日新聞朝刊(9月20日現在)にて”時代を駆ける”若松監督が登場されておられます。
是非一読を!
若松監督へ・・素晴らしい作品!有難うございます。第七劇場で上映され良かったです。
志鷹 豪次氏のコメント(2010年5月19日付)に登場する映画館「田辺キネマ」は、私が幼少の折、住んでいたのが大阪の東住吉区田辺西之町で近く、うちの母が幼稚園の帰りに私と仲良しの友達の二人を連れて「ゴジラ」第一作を観に連れて行ってくれました。観た後、怖くて友達と後ろを振り返りながら帰ったのを覚えています。その友達は大森一樹君といい、後に何作目かの「ゴジラ」のメガホンをとった映画監督となりました。「田辺キネマ」はもう無いでしょうが、当時の小さな映画ファンにより、今も映画界に引き継がれているようです。