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昭和のニュース

広島に原爆投下

1945年08月06日

1945020 原爆投下後、広島上空に発生した原爆のキノコ雲=米国立公文書館提供
1945年8月6日 広島

1945002 爆心地から2.3キロにある、御幸橋西詰で横たわる負傷者たち=松重美人さん撮影
1945年8月6日 広島・広島

午前8時15分、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」から原子爆弾が投下され、広島市の7万6000戸の建物の90%以上が一瞬のうちに破壊された。年末までの死者約15万人。生き残った市民も長く後遺症に苦しむ。米国は日本の抗戦への意思を打ち砕くために原爆投下を決断し、9日には長崎にも投下した。

<当時の新聞紙面>

1945081002

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コメント

18年前に亡くなった祖父は衛生兵だったそうで、原爆投下後に九州から広島に入ったそうです。
その時の話を聞いたことがあるのですが、今でも鮮明に覚えている話があります。

火傷ををった人達が水を求め、川沿いでたくさん亡くなっていたこと…
火傷の為、手を上げた状態でしか歩けない人達がいたこと…

こんな情景を目の前にした祖父の思いを、小さかった私はどれだけ感じ取れたのかわかりませんが、二度と同じことを起こしてはいけないと思った事を思い出します。

どんな理由があっても原爆は許せません。
ご冥福をお祈りいたします。

投稿:chiho
2010年8月 6日 (金) 14:26

私の地元では、小学校の頃この時期になると平和集会が行われていました。これまでたくさんの話を聞きました。語り部の方と話す機会もありました。
平成生まれ、平和な日本に生まれた私ですが、この先も戦争の恐ろしさというものを後世に伝えていくために何かできることがあるはずです。
このような戦争の惨禍を繰り返さないよう、「戦争」がこの世からなくなるよう、一人ひとりができることをしていかねばなりません。

投稿:USSY
2010年8月 6日 (金) 17:18

原爆が広島に投下されてから65年。
悲しいかな、私たち若い世代だけでなく広島や長崎の被爆地に住んでいる人たちの中にはこの日が何の日であるか分からない人がいます。
この日が人類史上初めて核兵器が使われた日であり、沢山の人たちが無念の死を遂げた日であることを。
若い世代である私たちができることはまず、この日が何の日であるかということを忘れないこと。
そう、8月6日は広島に原爆が投下されて沢山の人たちが亡くなった日であることを忘れないこと。
辛く悲しいことだけど、風化させてはいけない。
忘れてはいけない。

投稿:uparun
2010年8月 6日 (金) 17:19

私は北九州に住んでいますが、当時から北九州で暮らしていた祖父がこの時期になると、

ほんとうはこの爆弾は北九州に落ちるはずやったんよ。あんとき北九州が曇りやなかったら、今頃お母さんもあんたもおらんかったんよ。

と言っていたのを思い出します。
思い出すたびに、原爆が落ちなければ広島や長崎には何万という現在を生きる人たちがいるのではと思います。

決して他人事で終わらせたくないな、と思いました。

投稿:ynk
2010年8月 6日 (金) 17:50

少なくとも日本国民全員がこの日何があったかを正確に受け継いで行かなくてはならないと改めて思います。
核による攻撃を受けた唯一の国民として。
民族主義ではなく、本当に世界に平和を訴え続けるために。

投稿:kenshino
2010年8月 6日 (金) 18:32

私は2年前、小学6年生のときに、夏休みの自由研究で原爆について調べました。
それまで興味はあったもののあまりよく知らなかった、第二次世界大戦のこと、原爆のことを知り、ショックを受けました。

私の祖母は当時小倉に住んでいたため、もし福岡に原爆が落ちていたら自分がいなかったという事実も知りました。

もしかしたら私は、今ここにいなかったかもしれない。
この時代には、当時長崎で被爆された方々の子孫が暮らしていたかもしれない。

そう思うと、とても複雑な思いでいっぱいになります。

私は、そういう人たち――もしかしたら私の変わりに生まれてくるはずだった子孫の方々――の分も、精一杯生きていかなければならない。

本当にそう思います。


小学6年生のときもそうでしたが、いまの時代には核兵器について知らない人が多すぎると思います。

私が知っているのは、ほんの短期間に調べたほんの少しのことですが、それでも周りに伝えることはできます。

自分にできることを少しでもやって、何とかずっと後の時代まで被爆者の方々の思いをつないでいけたらと思います。

投稿:wakana
2010年8月 6日 (金) 20:23

子どもの頃は、戦争の話となると「怖い」という気持ちばかりで、まともに見たり話を聞いたりできませんでした。
でも自分なりに、この出来事を受け止めたいと思い、5年前の8月6日広島に行きました。
その時見た、被爆者の方が描かれた当時の絵や、特攻隊として若くして命を亡くした方の手記の内容などは、今も強烈に心に残っています。焼け焦げた身内を自転車に乗せて運んでいる人、目玉が飛び出してしまった男の子…。口にするのも恐ろしい状況です。
実際に体験したわけでもない私も口にしたくない状況を、被爆者の方たちは話してくださっています。話すたびにあの恐ろしい状況を思い出すでしょうから、とてもお辛いことでしょう。
それでも話して下さる被爆者の方たちの思いを、世界中の人たちに受け止めて欲しいです。
核を持つ国々、核に賛成する賛成する人たちはあの日の広島や長崎がどんな状況だったのか、本当に理解しているのでしょうか。自分や自分の愛する人たちがこのような目に遭ったらどうなのか、それでもいいのか、問いただしたい思いです。
あの日の広島も今日のように暑い一日でした。その暑さの中苦しみ、この世を去られた、たくさんの方たちのご冥福をお祈りします。
世界は平和になれるはずです!

投稿:midori
2010年8月 6日 (金) 20:30

私はこの関係の記事を見ると、祖父・祖母・父を思い浮かべます。祖母は広島で被爆し父は生後4カ月で
被爆し祖母は必死で父をかばったと話を聞かされました。祖父は他界しましたが、小さい頃よく話を聞かされました。私も被爆者2世ですが、この出来事を
忘れてはならないし、ずっと後世に受け継がねばと思います。世界の平和のために。

投稿:manimani
2012年1月30日 (月) 18:35

私は広島の修道中学校の正門前に住んでいました、当時小学四年生、
夜明けに空襲警報があり学校は少し遅れて始まる約束でした、
布団の中でなんとなく北のほうを見てると「ピカッ」と緑色の火の玉が光りました、これが原爆の破裂の瞬間です、
何だろうと思う間もなく無音になり、気が付いたら部屋の端っこに飛ばされていました、
身重の母親が逃げる準備をしている間、玄関に出てみると皮膚が殆ど垂れ下がっている人が、のろのろと歩いています。何の感傷も起きぬままぼんやりとみているだけでした。

投稿:ひでじい
2013年5月 4日 (土) 06:07

戦争の無い平和な世界に…、そんな事はあり得ないと大人になった今は思います。
いい加減に現実と向き合い立ち上がる時だと思います。
自分の家族や友人を守るためにどうすれば良いか。
それを考えることが国を守ることにもつながるはずです。

投稿:yuki
2013年8月21日 (水) 22:14

核の悲劇的な結果を見れば国家利益を理由に過去の軍国主義がいかに悲劇的な結果をもたらしたかを忘れてはならないと思います。

しかし現在、タカ派と言われる日本の主な政治家の言動を見ると、この悲惨な教訓を忘れ、過去のいつか来た道をまた目指しているような気がします。

投稿:大山博
2013年9月10日 (火) 11:27

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