ソ連が対日宣戦布告
1945年08月08日
チャーチル英首相、ルーズベルト米大統領、スターリン・ソ連首相が出席してヨーロッパの戦後処理を決定したヤルタ会談。ソ連は対日参戦を決めた 1945年2月 ソ連・ヤルタ
国境を越え満州に侵攻するソ連戦車
1945年8月9日 満州
ソ連軍に武装解除される関東軍 1945年8月 満州・奉天
ソ連が日本に宣戦を布告、満州(中国東北部)や朝鮮などに進撃した。日本とソ連は1941年4月、中立条約に調印して太平洋戦争ぼっ発以降も中立関係を維持した。しかし、45年2月のヤルタ会談で、ソ連は対日参戦することをアメリカとイギリスに確約、条約を一方的に破棄した。ソ連の参戦により満州の日本開拓民約8万3000人が死亡、数千の子供が「孤児」として大陸に残された。
<当時の新聞紙面>

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