石橋内閣総辞職、第1次岸内閣成立
1957年02月23日
車イスで入院する石橋湛山首相 1957年2月 東京・杏雲堂病院
首相指名を受け記者会見する岸信介首相(左手前)
1957年2月24日 東京
発足した岸内閣の顔ぶれ。キャッチフレーズは「汚職、暴力、貧乏」三悪追放
1957年2月24日 東京・首相官邸
石橋湛山首相はかぜから肺炎を併発して国会の新年度予算案審議に1日も出席できず、岸信介外相を首相代理にあてていた。医師団の総合診断の結果、さらに2カ月の静養を要するとされ、辞任を表明。石橋内閣は発足2カ月で総辞職した。後継首相には岸外相が指名され、岸内閣は石橋内閣の全閣僚を再任して発足した。
<当時の新聞紙面>

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