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古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。
1959年04月30日
浅草ロック座でストリッパーと楽しげに談笑する永井荷風さん1952年11月2日 東京・浅草ロック座
作家の永井荷風さんが胃潰瘍のために、千葉県市川市の自宅で死去した。79歳。所持金も少なく、孤独な老人の死だった。明治末期から耽美享楽の作風に転じ、花柳界などの風俗を描いた。代表作に「つゆのあとさき」「あめりか物語」「ふらんす物語」「すみだ川」、日記「断腸亭日乗」など。
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卒業論文は永井荷風と決めた直後の急逝でした。当時は第一次の荷風全集(中央公論社版)が刊行されてから年数が経過していたので、古書店を回りながら全巻集めるのに苦労したものです。耽読しては浅草、向島、深川、葛飾などをよく歩きました。荷風氏が死去されたとき、文芸評論家の中村光夫氏がラジオのインタビューで、「戦後の世相や風俗は荷風さんにとって絶好の題材を提供してくれたはずですが、大作をお書きにならなかったのは残念です」と語っていたのが印象に残っています。私も期待していた一人ですが、戦後の作品は小品(淡白な短編)がほとんどで、濃厚な作品を次々と発表していた谷崎潤一郎氏とは対照的でした。
最近荷風の小説を読み直しながら、彼の晩年の数奇な生き方に興味を覚えますが、それにしても養子とは言え戸籍上の子供がいたのに最後の頃はどんな関係があったのか興味を覚えます。 老齢化が進み様々な社会問題が話題になる今、荷風が現在この世にいたらどんな気持ちで老齢社会の現状を見つめたでしょうか。
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卒業論文は永井荷風と決めた直後の急逝でした。当時は第一次の荷風全集(中央公論社版)が刊行されてから年数が経過していたので、古書店を回りながら全巻集めるのに苦労したものです。耽読しては浅草、向島、深川、葛飾などをよく歩きました。荷風氏が死去されたとき、文芸評論家の中村光夫氏がラジオのインタビューで、「戦後の世相や風俗は荷風さんにとって絶好の題材を提供してくれたはずですが、大作をお書きにならなかったのは残念です」と語っていたのが印象に残っています。私も期待していた一人ですが、戦後の作品は小品(淡白な短編)がほとんどで、濃厚な作品を次々と発表していた谷崎潤一郎氏とは対照的でした。
最近荷風の小説を読み直しながら、彼の晩年の数奇な生き方に興味を覚えますが、それにしても養子とは言え戸籍上の子供がいたのに最後の頃はどんな関係があったのか興味を覚えます。
老齢化が進み様々な社会問題が話題になる今、荷風が現在この世にいたらどんな気持ちで老齢社会の現状を見つめたでしょうか。