昭和のニュース

三河島事故

1962年05月03日

1962002 電車が二重衝突。常磐線三河島駅の現場
1962年5月4日 東京・荒川

1962015 常磐線の貨物列車と国電上下線が二重衝突
1962年5月4日 東京・三河島

1962016 三河島事故後、1966年4月に全線区に取り付けられたATS(自動列車停止装置) 1966年4月 東京

午後9時40分ごろ、国鉄常磐線三河島駅構内で、下り貨物列車が車止めを突き破って脱線、下り線路内に傾いた。そこに平行して走ってきた取手行き下り電車が衝突して脱線。乗客が線路上を歩き始めたところに上野行き上り電車が突っ込み下り電車に衝突、1両目は大破、2、3、4両目は線路土手下の民家に転落した。この二重衝突で死者160人、重軽傷者325人を出した。貨物機関士が信号を誤認したうえ、事後の処置を怠ったことが大惨事を招いた。

<当時の新聞紙面>

1962050401

« 前のニュース 次のニュース »

ニュース年表

コメント

この列車事故は、国鉄始まって以来最大の事故で蒸気機関車の運転手が信号機の「赤」を見落とした結果から起こった大事故であって当時小学校の5年ぐらいだったがこの事故のすごさと死亡者の余りの多さには、驚愕しました。これが元で開発されたのが、ATSーS型の列車自動停止装置である事も重要な事故の教訓から学んだ知識と思います。
その改良型がATS-P型で福知山線の脱線事故から学んだ教訓から生まれた物で有る事も重要であると思います。

投稿:辻岡正信
2013年6月10日 (月) 13:30

文明の利器は私達の生活を大いに向上させてくれた。が、その一方ではどんなに優れたものでも、ひとたび軌道を外れると被るリスクは際限なく大きくなる。つまりこれで安全、これだけすれば絶対、安全は存在しない。人の手で作られ人間が使う以上、予測不能の事態と常に背中合わせだと言う事を忘れてはならないと思う。同時に事故で尊い命を落とした多くの犠牲者の悲しみの上に、今の私達の日々が成り立っている事もわすれてはいけない。

投稿:肥田喜作
2013年12月 2日 (月) 04:31

ATS-P型は福知山線脱線事故前から存在してましたよ?
ただ、JR西日本がATS-P型の設置が遅れ事故が起きたと言わざるをえません。

事故が起きてからでは遅い。
その事故を防止するために、各鉄道会社には安全対策をしっかりやって頂きたいものです。

投稿:藤澤 智
2013年12月 2日 (月) 07:47

コメントを投稿

コメントは毎日jp編集部が承認するまで表示されません。
平日10:00~18:00の営業時間帯に承認作業を行ないます。

携帯版「昭和毎日」はじめました

なつかし商品情報

毎日フォトバンク

新着コメント